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【津和野高校】津和野ー東京の研究

こんにちは、ふくいです。
今日は、いま津和野高校の生徒と一緒に取り組んでいる、研究授業についての記事です。
去る10月1日、津和野町は東京の文京区と、「『森鴎外ゆかりの地』相互協力および防災に関する協定」という協定を結びました。
この協定は、
常日頃から住民レベルの交流や観光・広報活動などで関係を深めておき、災害時などにお互いにスムーズな支援ができるよう備えるための協定です。

その交流活動の一つに、来る10月20・21日に行われる、根津・千駄木下町まつりがあります。
根津・千駄木下町まつりのパンフレット
この、下町まつりに、津和野高校生も参加します。
が!参加するに至った経緯や、事前学習などに、『せっかく東京に行くのにもったいない!』と思うところがあったので、ある提案をしました。

提案1)根津・千駄木下町まつりで、ブースのお手伝いをするだけではなく、津和野の魅力、津和野高校のことなどを発信してはどうか。

提案2)せっかく東京に行くのだから、事前にテーマを決めて、東京で研究のための調査をしてはどうか。

提案3)同日程で津和野高校東京支部総会が開かれるので、先輩方の前で、津和野高校の現状についてスピーチをしてみてはどうか。

役場内で調整し、校長先生と相談した後に、担当教員である稲田先生と打ち合わせをして、提案を実行してみることになりました。


まず、提案1については、津和野高校で総合学習の時間を使って行われている『本をつくる』授業で調べている内容を活かして行ってはどうか、ということになりました。
この『本をつくる』という授業は、町の人にもっと高校に関わってもらおうという意図で行われている授業であり、教育委員会職員の中井さんが講師を務めて、ビジネスコースの生徒を対象に、『津和野にまつわること』をテーマに、生徒がそれぞれ 本(冊子)を作るというものです。

ちょうど、この授業で津和野について調べているので、その内容を踏まえて、現地で魅力発信をしてみよう!ということになりました。

加えて、僕のアイディアで、これまで培ってきた人脈を活かして、東京で津和野高校の全国募集に関して協力的に動いてくださっている遣島使(島根県が認めている島根の魅力発信請負人)の三島さんや、島根に特化した旅行商品を企画しているNDRトラベるの秋本部長さんにも協力していただけることになりました!

津和野高校生×遣島使の図式です。
『わかもの』である、津和野高校生が、津和野の魅力発信のために、『よそもの』である僕がすこし助力する形で、『外部の人財』である遣島使の方や、企業の方と協力して取り組みを行う。

まず、第一歩が踏み出せた気がします。

提案2については、森鴎外のみならず、津和野と東京との関わりについて、現地で調査して、事前学習と併せて、後日全校生徒の前で発表しよう、ということになりました。

上京する2人の男子高校生は、それぞれにテーマを決めて研究活動をしています。
ただ、高校生に、いきなり『研究しろ!」と言っても、ノウハウも、時間もなく、難しいのが事実です。
そこで、僕と稲田先生がアドバイザーのような形で携わり、彼らの研究を手伝っています。

派遣生徒の1人、津和野出身の大羽くんは、『本をつくる』授業で桑原史成さんについて調べていたので、桑原史成さんを核にテーマを展開しようと考えていましたが、僕とディスカッションをしたり、ブレインストーミングをしている間に、せっかく東京に行くのだから、もっと東京との繋がりがあり、東京で津和野人の生き様を魅せた人にしよう、とテーマを『西周』に変更しました。

まがいなりにも、僕は哲学専攻なので、彼が『西周』について研究するとなると、きちっと指導したいと考えています。高校生ならではの、斬新な発想がでるかな、とわくわくしながら事前学習をしています。


もう一人の派遣生である、高瀬くんは、全国募集で横浜から入学した生徒です。なので、津和野のことを知っているという意味では僕と良い勝負。二人でたくさん考えた末、『近代文学黎明期における津和野人の活躍〜天野雉彦にみる、津和野の人財〜』というとってもかっこいいテーマで研究してみることにしました。

高瀬くんは、伊沢蘭奢について調べていたのですが、調べているうちに、松井須磨子に辿り着き、松井須磨子から島村抱月、そこから中村吉蔵に辿り着きました。
島村抱月は浜田出身、中村吉蔵は津和野出身です。新劇が興った際の重要人物の中に、これだけ島根出身者がいたことに感銘を受けたようで、そこからより深く調べて行くと、天野雉彦という人に辿り着きました。

森鴎外を筆頭に、中村吉蔵、そして天野雉彦。後に、徳川夢声。激動の時代の文化にこれだけ多くの人財を輩出し、文化振興に寄与した地域だというのは、津和野の魅力の一つではないでしょうか。


この研究のための事前学習として、先週から毎日16時に津和野高校で勉強会を開いています。研究の進め方、事前調査、スケジュールの組み方、ノートの取り方、文献の集め方。たくさん学んで欲しいことがあり、とても充実した時間になっています。
また、座学だけでは良い研究ができないので、津和野におけるフィールドワークも行います。

*ちなみに、僕も一緒に研究したいなあ、と想い。二人が取り上げてくれなかった森鴎外について調べることにしました。

提案3については、同窓会東京支部会長の青木さんと協力して、津和野高校生にいろんな経験をしてほしい、ということで、同窓会東京支部総会の冒頭でスピーチをすることになりました。生徒2人とっては、大人の前で一人で話す、ということはこれまでに経験していないことであり、とても緊張しているようですが、これも良い機会だと思います。
こういった場を何度も踏んでいくことで、人間として一回りも、二回りも大きく成長するんじゃないかなぁ、と自分の学生時代が懐かしくなりました。


と、いうわけで、明日から高校生2人と、稲田先生と東京へ行ってきます。
実り多き学習となるように、がんばってきます!

帰ってきてからの報告をお待ちください!


雑記)*独り言で申し訳ありません
『東京へ行く』ということ自体は僕が提案したことではありません。役場のある方からは『それは、先生にうまくコマとして使われているだけじゃないのか?』と言われました。でも、僕はそうは思いません。いくら提案をしても、通らない現状がある一方、場当たり的にいろんな場面で使われることもありますが、大切なのは『そこで、なにを伝えるか、なにをなすか』だと感じています。
たまに、『なんで、自分の言ったことはやってくれへんのに、向こうはなんでかんでもこっちに提案してくるねん』とこどもみたいに感じることもありますが、これも大事なことなんだと、思っています。
いきなり、大きく、がらり!と、変えることは難しい。
ならば、今ある取り組みに入り込んでいって、それをより実り多きものにすべくディレクションする。
そうやって、ある意味自分を押し殺して、英語の通訳でも、見守りでも喜んで受けるべきなんだろうなぁ、と感じます。

このブログを読んでいると、現状認識ばかりで、提言や取り組みを行っていないように見えるかもしれませんが、IFJの4人は毎日、まいにち、偉い人や、力のある人、凝り固まっている組織に対して、提言をして、つぶされて、それでもめげずに、細々した取り組みを一つ一つ丁寧に行なっています。

なかなか、芽が出ていないように感じるかもしれません。
でも、それぞれが、地中でむくむく養分を蓄え、根を大きく張っています。
すぐに、『観光客◎○人増加!』などという成果が欲しいのであれば、イベント企業に頼んでイベントを打ちましょう。
公な、『津和野町はこういう方向に進むべき』という権威のある意見がほしいなら、大きなコンサル会社を雇いましょう。
それで失敗してきたから、新たなる一手として、僕らが呼ばれたと、僕は感じています。

一過性のイベント
どこに届くかもわからない提言
住んでる人の声を『聞いたふうな』意見
そんな、生温いものを出そうとは思っていません。


生意気言っていますが、目の前にある課題に対して全力で取り組んでいるつもりです。
厳しい意見、応援、いつでもお待ちしています。

もっと、たくさん話をしなければ、と感じる毎日です。



津和野高校魅力化について

おはようございます。
町長付ふくいです。

先日、島根県の海士町で『島の経営会議』があり、改めて津和野高校魅力化について県立隠岐島前高校で活躍なさる岩本さんや、魅力化担当課長吉元課長、隠岐國学習センター長の豊田さんと意見交換を行う機会がありました。

そこから、改めて津和野高校魅力化について考えをまとめたので、ブログを書いてみます。
単なる記録として書き留める気はないので、相当長いものになります。
どうか最後までお付き合いください。

それから、このブログにはコメント欄があり、また僕のFacebookページへのリンクもあります。
『ふむふむ、そうか』
で終わることなく。
『いや、それは違うだろ』
『じゃあ、どうやって実行していくんだ』
など、この場を活発な意見交換の場にしていただければ幸いです。

では、本題です。
最初に、スライドを埋め込んでおきます。
フルスクリーン表示できるようにしておきますので、このPDFを見ながら、ブログを読み進めてください。



津和野高校魅力化レジュメ from kenyamyam

1)津和野町の現状
 改めて言うまでもなく、津和野町は全国でもトップクラスの高齢化が進んでおり、高齢化率は約41%、少子化率は10%程度です。ここでは、『津和野高校の存在と町の将来』という文脈で話を進めていきます。

 津和野高校がなくなるかもしれない、ということは数年前から語られてきていますが、『では、なくなったらどうなるのか』を豊かな想像力をもって考えている人はそう多くはないのでは無いかと感じています。

 津和野高校がなくなると、どうなるのか。まず、高校生世代の人口が激減します。津和野高校がある今でさえ、部活動や夢のために津和野以外の高校に進学する生徒が少なくありません。益田高校や、翔陽高校に進学し、津和野から通学するならまだしも、大社高校や松江北高校に進学し、下宿するという生徒もいます。津和野高校がなくなると、この生徒の流出が一層進むことになります。これは、単に津和野から生徒がいなくなるということにとどまらず、町内の経済実態を変形させることにもつながります。と、いうのも、津和野で稼いだお金が、下宿費や生活費のために出雲市や松江市に流れることになれば、津和野の経済圏に流れてくるキャッシュ・フローが今よりももっと縮小するということで、津和野の経済にも少なからず影響を与えます。

 また、こういった生徒の流出が進めば、高校生世代の生徒を抱える家族が一家揃って出雲市や松江市に流出、ひいては県外に流出することにも繋がり、高校生世代だけでなく、その親世代の人口も津和野から流出することになります。高校生世代の親世代というのは、まさしく津和野の担い手である生産者人口であり、この人口が減少すると、津和野町にはもはや高齢者しかいなくなってしまいます。

 加えて、高校がなくなることで、IターンやUターンも見込めなくなるでしょう。いくら素敵な自然と文化に恵まれた町であったとしても、高校まで子どもを育てられないということになれば、子連れのIUターン希望者が町に来ることは考えにくいです。

 ここまで述べると、津和野高校の存在が、町の将来を考えるにあたり非常に重要なものであることがおわかりになるかと思います。津和野高校の存続は、単なる県立高校の存続問題ではなく、『町として必要な機能』がなくなるかどうか、つまり、病院や公共交通など生活インフラがなくなるかどうか、という議論と同じ土俵で議論されるべきことなのです。


2)津和野高校を取り巻く現状
 さて、津和野高校に目を向けてみましょう。津和野高校の定員は2クラス80名ですが、現在入学者数は約55人程度で推移しています。定員に対する入学者の割合(入学者充足率)は78.8%です。島根県の教育委員会は統廃合の目安として、この入学者数充足率が60%を下回らないことを提示しています。津和野高校の場合、入学者が48名を下回ると、クラス減の対象校となるということです。

 津和野高校の入学者の内訳を見てみると、90%が県内出身、内57%が津和野町内出身です。20%程が益田からの進学で、残り10%程度が山口を含む県外出身者です。一昨年から取り組み始めた全国募集で入学した生徒はごく僅かです(数人程度)。

 ここで、興味深い数字があります。津和野町内の中学3年生の内、どれほどの生徒が津和野高校に入学しているか、という数字です。(左下のグラフ)これを見ると、町内の約半数しか津和野高校に進学しておらず、残りの半数は益田を始めとする町外の高校に進学しています。この数字を踏まえて、鹿足郡内(吉賀町と津和野町の合算。割合は1:1程度)の中学3年生の人数の推移(右下のグラフ)を見てみると、年々減少していき、2017年にはついに100人を割る見通しになっています。このことは、同時に津和野高校に入学する津和野町内出身の生徒の数が減ることを意味しており、現在の数字のまま計算すると2017年には津和野町内から津和野高校に進学する生徒は『25人程度』にまで減ってしまいます。

 これらのグラフからなにが読み取れるかを考えます。
①津和野町内の中学生が津和野高校に進学する割合が低い。
②全国募集を行っているが、あまり効果があがっていない。
③鹿足郡内の中学生は年々減少しており、益田地域でも同様である。

 これらを踏まえた上で、総合的に津和野高校が取りうる指針を示すとすれば、
①町内からの入学率を向上させる。
②県内での学生の取り合いを行うのではなく、県外からの入学者数を増やす。
この二つが指針として示す事ができます。

3)津和野町のリソース
 『津和野高校の存在と町の将来』というテーマでこの課題を捉えるにあたり、津和野町のリソースを把握しておきます。津和野高校の魅力化に関して、津和野町が持っているリソースのうち非常に有用なものが以下の4つです。

①多彩な文化行事
②充実した社会教育・社会体育事業
③IFJ・大学生の存在
④豊富な自然資源

①:津和野町には鷺舞神事や石見神楽を始めとする多彩な文化行事があり、これは高校が立地する土地の文化資源としては全国でもトップレベルにあると言えます。この文化行事を単なる行事として捉えるのではなく、これらを育んだ人と彼らの生業を活かして高校の魅力化を行っていくことで、津和野町が『ひとが生活する場所』としてもつ魅力を、高校の魅力に繋げることができ、高校単体ではなく、町とセットになった高校として魅力を打ち出していくことができます。


②:島根県では概して社会教育が盛んに行われています。津和野町も例外ではなく熱心な社会教育主事が役場に常駐し、町内には様々な社会教育事業や、社会体育サークルが存在します。それら地域リソースを高校の教育と接続することで、高校が担いきれない教育分野を社会教育団体が担うことができ、相互補完の関係の中でより生徒のためになる教育を行うことができます。


③:津和野町には大学が無いので、大学生がいない町になっていますが、IFJ事業で毎年大学生が来町します。彼ら自身が一流の大学に在学しているということに加え、彼らの人脈を活かすことで、さらなる交流人口の増加と、高校生にとってのロールモデル(憧れの的)を提示する方法を模索することができます。


④:津和野町には清流高津川を始めとする全国でも一流の豊富な自然資源があります。これらの自然資源をフィールドや題材として活かす教育プログラムを策定することにより、都市部では味わえない大自然の中での学びを提示することができます。


 高校の魅力化は、高校だけでは行えません。また、新しくなにか魅力的なものを見出すというのも、難しい話です。そこで、津和野町のもつリソースを使う。これにより、津和野高校だけではなく、津和野町全体の魅力を高校生活の魅力として打ち出し、県外生に対する魅力の一つとする。これが、高校魅力化の一つの指針です。

4)津和野町の課題
 『津和野高校の存在と町の将来』というテーマで考えを進めるにあたり、津和野町にはリソースと同じように、課題も存在することを忘れてはなりません。ここで、津和野高校魅力化に関する課題の一部を取り上げます。

①文化行事の後継者不足
②産業の担い手不足
③大学生世代がいない
④活用されない自然資源

①:津和野町には前述したように、多彩な文化行事があるにも関わらず、若年層人口の減少などに伴い、文化の後継者不足が課題になっています。文化とは、言うまでもなく、人によって受け継がれていくもので、後継する人間がいなくなればその文化も消滅してしまう。
 また、それらの多彩な文化行事に若者が中々参画できない現状も課題としてあげられる。そこで、これらの現状を解決しうる打開策が必要であると考えられる。

②:大学進学などで町を出た若者が帰ってくることが少ないことに加え、帰郷を促すポジティブな動機付けが体系的に行われていないため、津和野のあらゆる産業では担い手不足が叫ばれている。解決のためには、郷土愛と意欲を育む取り組みが必要になるであろう。
 補足説明しておくと、『帰郷を促すポジティブな動機付けが体系的に行われていない』というのは、形だけの郷土史教育、ふるさと教育は行われていても、『帰郷すること』がプラスイメージで捉えられるような事例を『おとなたち』が示せていないこと。二言目には『津和野にいても仕方が無い』と言ってしまう『おとなたち』がいること。動機付けや、意欲を育む取り組みが行われる前に、『とりあえず勉強しろ』『大学へ行け』と言う『おとなたち』が多いこと、などです。

③:津和野町には大学が無いので、大学生がいない町になっている。高校生にとっては少し年上のロールモデルがほぼいないことになり、このことにより、高校生にとっては、人生設計や進路設計、人格形成において、都市部に比べ大きなハンディキャップが生じていることは否めない。

④:津和野町には清流高津川を始めとする、全国でも一流と言える豊富な自然資源があるにも関わらず、これらは手つかずでうまく活用されていない。消費するだけでなく、保全しながら教育に活かすなど、活用する手だては多く存在するにも関わらず、そういった活用が行われていない現状がある。資源 は活用されないと手入れされなくなり、将来的には現在のすばらしい資源が失われてしまうかもしれない。

 先の項で『津和野のリソースを津和野高校の魅力化に活かす』ということを論じた。ここでは、これらの津和野の課題を、高校魅力化の過程で解決していくという指針を立てる。

 つまり、僕が考える津和野高校の魅力化とは、津和野のリソースを活用しながら、高校というものをテコにして、津和野の課題を解決していくこと、と定義づけられる。
 これは難しいことではない、高校の魅力化という手段をもってして、津和野町が抱える課題を解決していくだけのことである。つまり、高校にとっては魅力化により生徒増加につながり、町にとっては魅力化が実行されていくことで、一つ一つ町の課題が解決されていく、win-winの関係が築かれるのです。

県の機関だから。
課が違うから。
担当では無いから。
よその課に何故余計な仕事をふっかけられなければいけないの。
私は高校生でもないし、高校生の子どももいないから。

そんな言い訳をする時代は終わりました。

こんなの、前例がないじゃないか。
効果があるのか。
むちゃくちゃ言うな。
そんなことより実務で手がいっぱいなんだよ。
なんでおれがやらなきゃいけないんだ。

こんな言い訳をしている時間はありません。

格好悪くないですか。縦割りに捉われ、しがらみに囚われ、先例と慣習にばかりとらわれ、戦っているフリをして、座して死を待つに等しいことをしている、おとなたち!

子どもたちは、まっすぐ、透き通った瞳で見ています。

全部、ばれています。

余談になりますが、津和野の子どもたちと関わる僕にとって、すごく悲しいことがありました。

高校生の話です。
『学校の先生は、全然俺らを見ていない。どうせあの人たちは、転勤すれば津和野なんて関係ないんだし、「大学に何人進学したか」が大事で、俺らの人生とかどうでもいいんだろ』
進路指導で理不尽なことを言われた子が言っていた一言です。(高校の進路指導がすべて悪いというわけではありません)

『津和野のおとなは、格好良くない。だらだら働いているし、言うことは決まってる。「津和野なんかにいないで、都会に出ろ」そればっかり。こんなおとなの背中ばっかり見てると、ふんづけてやりたくなる。』
中学生と将来のことを話していた時に出た一言です。

『なんで、津和野にきたの?どうせなくなる町だよ?大阪とか東京の方がいいに決まってる。鮎とか、わさびとか、大したことない。町の偉い人たちはすぐにそんな決まり文句みたいな「津和野には鮎があります」なんて言うけど、僕は一回も食べたことないし、そんなことをいう偉い人の言葉にも心がこもっていない』
中学生と鮎掛けをしていたときにこぼれた一言です。

子どもたちは、僕らが考えるよりも、はるかに、はるかに、はるかにまっすぐな瞳で、日常のあらゆるものを捉えています。
こんな、言葉、もうこれ以上聞きたくありません。
彼らをして、こう言わしめているのは、

他でもない、僕らおとなの責任じゃないんでしょうか!


おとなたちが、かっこいい姿を見せて、『この背中を追いたい』『この町に恩返しがしたい』と思えるような町を作っていかないと、子どもたちがこういってしまうのも仕方が無いでしょう!

津和野の、全おとなたちに、問いかけます。


いまのままで、いいのですか!



僕は、いやです。
こんな子どもたちが育つ町、津和野らしくないです。
たくさんの偉人が育った町が、こんな町であっていいはずがない!
だから、魅力化に携わります。
少ししかできることはなくても、魅力化に全力を注ぎます。

5)魅力化の方向性
 では、どのように魅力化を進めていくか、これまでの話を踏まえて、考えていきたいと思います。批判や、陰口、反対意見なんて、恐れません。考えていることを、書く。これは、IFJのブログです。反応を気にして、当たり障りの無いことを書くくらいであれば、書かない方がましだと思っています。

 魅力化の方向性は4つあると考えています。
①現状維持
②一貫教育
③学力向上
④地域との接続

①:全国募集を行っていることと、一貫校を目指したが県の許可が下りなかったということで魅力化に終止符を打ち、座して死を待つという方策をとる。この方針で魅力化を進めるなら、町内の中学卒業者数が減少するに従い、定員の六割を割る入学者数しか入学しなくなり、統廃合は余儀なくされる。また、立地条件から益田高校に統合され、津和野高校は廃校になることは想像するに難しくない事態である。 津和野町の将来を考えるのであれば、最も取るべきでない手段。

②:中高一貫教育を推進し、6年間で手厚い教育を行おうとする案。町内の生徒の囲い込みとしては非常に有益な手段であるが、そもそも一貫教育に効果があるかどうかは定かでは無い。加えて、『併設型』『同一学校型』 の一貫校は県が認めないため実施することができない。可能性としては『連携型』の一貫教育があるが、それらの違いさえわからぬまま推進するようでは、到底一貫教育が行われる見通しが立たないであろう。また、一貫教育を行ったところで、町内の人口が減れば、統廃合は避けられなくなる点で取るべきではない方策。

③:学力向上を魅力化の第一義の指針に掲げる案。進学実績を高め、それにより全国から生徒を募集しようとするもの。現状維持案よりも浅はかな案である。考察は後述するが、片田舎の一県立高校が学力で都市部の私立高校にかなうはずがない。また、津和野町内の中学生がそのような高校を求めているという統計も出ていない。現実的な視点が欠けた、短絡的で、これまでの『失敗』を全く活かしていない案。しかし、学力向上を視野に入れた取り組みは一方で行うべきでもある。

④:津和野高校と、その立地する津和野町とをより多方面で接続し、相互補完する関係を作る案。地域の課題解決と同時に、多様化する社会で生きていける人財育成に取り組む案。大きなことより、まず、取り組めることから取り組んでいこうとする案。上記2案の良いところを抽出しながら、津和野高校魅力化関係者に足りない視点を加えたアイディア。全国規模で見ても、同一案は無く、津和野であるが故に行える案。 


 現在議論されている案、後援会が推し進める案、僕が提案している案など列記してみました。詳しい考察は次項で行います。

6)一貫教育
 まず、一貫校の種類が3種類あることを把握しなくてはいけない。


①:同一学校型(中等教育学校)
中学校の課程と高等学校の課程を統合した一体の学校。中学校に相当する前期課程と高等学校に相当する後期課程がある。前期課程を修了すると中学校を卒業したものと同じ資格
を持つ。通常後期課程の募集は行われないが発足当初は生徒を募集することがある。

②:併設型(中学校・高校)
同じ設置者(都道府県・市町村など)が中学校と高等学校を設置して接続するタイプ。中学校から高等学校へは無選抜で進学することが出来る。また高等学校は外部からの募集も行う場合もある。

③:連携型(中学校・高校)
設置者が異なる中学校と高等学校が連携して教育を行うタイプ。中学校の教師と高校の教師がチームティーチングを行ったり、教育課程をスムーズに接続したりする。連携中学校から高校へは簡便な試験で選抜する。また高校は、一般の試験で、他の中学校出身者を受け入れる。




例)島根県立吉賀高校の場合
 津和野町のお隣、吉賀町では県立吉賀高校と町内中学校、ひいては町内小学校との連携授業を中心とする『連携型』一貫教育を行っている。一貫教育の成果の有無は別にして、入学者の囲い込みには成功している。
 加えて、益田圏域で普通科高校の統廃合を考えるとき、益田高校・津和野高校・吉賀高校の3つの高校が対象校として浮上するが、吉賀高校が統廃合される可能性は少ないのでは無いか、というのが私の見解で ある。(県職員にもヒアリング済、ただし公式発表では無い。)
 その理由としてあげられるのが、吉賀町から益田高校には容易には通えないことが挙げられる。津和野町 の生徒は汽車に乗れば益田まで30分足らずで通学可能であるが、吉賀町からは汽車では通うことができない。県が高校に通えない地域を作るとは考えにくいため、吉賀高校が統廃合される可能性は非常に低いと言える。また、統廃合されたとしても、分校として吉賀高校の校舎が使われ続ける見込みがある。故に、町内の中学生を囲い込み、吉賀町民に対する吉賀高校の存在意義を高める方策に打って出れるのである。

では、津和野町ではどうか

 津和野町が一貫教育の残された道の一つである『連携型』一貫校を採択し、推進したとし、町内の生徒の囲い込みを行ったとしても、それがすなわち魅力化に繋がるとは考えにくい。
 津和野町の中学卒業者数が減少すれば(することは目に見えているので あるが)津和野高校の統廃合は避けられない。『連携型一貫教育』は津和野高校にとって『行われればいい』ものであるが、『行われれば魅力化が達成する』ものではな く、抜本的な解決にはならないだろう。

7)学力向上
 学力向上を魅力化の第一義の指針に掲げる案。進学実績を高め、それにより全国から生徒を募集しようとするもの。現状維持案よりも浅はかな案である。片田舎の一県立高校が学力で都市部の私立高校にかなうはずがない。
 また、津和野町内の中学生がそのような高校を求めているという統計も出ていない。現実的な視点が欠けた、短絡的で、これまでの『失敗』を全く活かしていない案。
以下、この論拠を示す。

論拠①:実情にそぐわない
 サマースクールで津和野町内の中学生の勉強を指導したが、津和野町の中学生の学力レベルを考えるととてもじゃないが、津和野高校を進学校になどできるわけがない。津和野高校が進学校になれば、『進学校を求める生徒』の入学者数は増えるかもしれないが、それ以外の生徒が増えるわけではない。
 そもそも、僕も大阪の進学校出身であるが、都会の進学校は中学時代からの『競争』に『勝ち抜いた』生徒が集まる高校であり、『競争』も『勝ち負け』もない津和野町内で育った生徒がそのような世界で『勝ち抜ける』はずがない。
 むしろ、学力以外の面で都会の学力一辺倒の人間に、総合力で勝る人財を育てられる環境であるにも関わらず、学力一辺倒の魅力化を行うのは愚策と言わざるを得ない。

論拠②:益田圏域と都市部との比較
 前回の記事でも指摘したが、津和野高校は『文理対応』と『就職支援』『公立大学進学』を学力における魅力と掲げるが、これは『益田圏域において』の話である。
 文書内に、益田圏域と都市部との比較を示した。津和野から通学可能な高校は全部で6校であり、これに対し東京都中野区から通学可能な高校は200校以上ある。ここでは、『文系特化』『理系特化』『就職に強い』『国立大学進学』などの高校があり、津和野高校の強みなど一蹴されてしまう。全国募集を考えるのであれば、これらの高校に勝る程度の学力を備えなければならなくなるが、その場合、有名な灘高校やラサール高校のような進学校になるということであり、現実的に可能なはずがない。
 再々、指摘することになるが、『幅広い進路指導』は津和野高校の専売特許ではない。全国募集という、全国をフィールドに戦うのであれば、益田圏域でのみ通用する『幅広い進路指導』という武器は、取るに足らない微々たるものでしかないのである。

論拠③:過去の失敗
 郷土愛と意欲を伴わない学力向上は、人財の都会への流出を助長するだけである。この減少は今まで津和野町が長年経験してきたものであるにも関わらず、未だに学力一辺倒の方針が良いものであるかのように語られるのは失敗を学んでいないからであろう。
郷土で事を興さんとする愛と意欲なくしては都会に優秀な人材を送るにとどまり、津和野町にとってのメリットが全くと言っていい程なくなってしまう。津和野町はこれまで、優秀な人材を手塩にかけて育て、その人財を都会に奪われ、疲弊してきた。この流れを食い止めない限り、津和野町は疲弊の一途をたどり、挙げ句の果てには町が立ち行かなくなるであろう。
 過去の失敗を活かし、現在の教訓とするならば、学力向上を第一義に掲げることは、町の将来設計とも相反することが自ずと明らかになるであろう。

 では、どのような指針で魅力化を行っていくべきなのか、次項で僕の考えを示します。

8)提案
 IFJの提案として、魅力化の指針を二つ掲げます。

①中身の魅力化:地域と高校との接続・現代社会に通用する人財教育
②外部への発信:全国募集をより積極的に広報する

①:津和野高校単体で魅力化を行うよりも、元々魅力的な町である津和野町を絡める形での魅力化を模索する。地域リソースを最大限に活かせるような取り組みを行い、津和野町のリソースを活かし津和野町の課題を解決するためのテコとなるように学校運営を行う。
 また、現代社会に通用する人財を育成すべく、闇雲に学習を促すのではなく『志』『郷土愛』『社会人基礎力』などをキーワードに、将来に対する動機とヴィジョンを持った上で学習が行えるよう指導体制を整える。

②:津和野高校が全国募集をしているという旨をより積極的に広報する。東京の自治体はもちろん、各種県人会に類する会にも広報を行う。
 また、町内に向けては、津和野高校のありのままの姿を、高校生の目線で発信し、より受信者のニーズに合う形での親切な広報を行う。広報活動の一環として、町内の中学校・小学校とも連携を取り、町内の中学卒業者がより多く津和野高校に入学したいと感じられるような広報を行う。

キーワードは
『地域と高校との接続』
『「志」「郷土愛」「社会人基礎力」を基礎にする学力』
『全国規模のネットワークを活かした広報』
『生徒目線での町内向けの広報』
この4つです。
この指針を軸に、8つの取り組みを今年度中に始動させます。

9)中身の魅力化
①部活動と町内サークル・文化行事との接続
②キャリア教育型公営塾の設置
③総合学習におけるキャリア教育の提案
④寮内における教育プログラムの実施

上記4つの取り組みを始動させます。
詳しくは、文書内9ページ以降をご覧ください。

10)外部への発信
⑤高校生による町内広報紙の紙面作成
⑥東京でのサテライト説明会実施
⑦オープンスクールに合わせた旅行商品の企画
⑧日本各所に津和野高校のポスター・パンフレット配置

上記4つの取り組みを始動させます。
詳しくは、文書をご覧ください。

11)最後に
 津和野高校を取り巻く状況は刻一刻と変化しています。事態は予断を許さない状況になっています。

『ちょっとまってくれ』
『それをやるには、確認が必要で、あそこにも聞かなくては』
『まぁ、次の会議で話し合いましょう』

そんなことを言っている暇はありません。
できることから、まず、一つ一つやっていかなくてはなりません。

高校魅力化も、後援会も、町のその他の事業も、椅子取りゲームじゃないんですよ!
偉いポストに就きたいのなら、よそへ行ってやってください。

高校も、高校生も、中学生も、みんな。
動ける人を求めています。
動きを求めています。


『いまこのとき』なんです。


この時機を逸する。

それは、5年後に、町から子どもたちの元気な声が消えることを意味します。


脅しでも、大袈裟でもなんでもなく。

事実です。

まぎれも無い、事実です。


一人ひとりが、この課題を、自分の課題として捉え、意見し、手を、足を動かすことが大事です。



育った、この町から、高校が消え、子どもが消え、町すらも消えてしまう。

そんなこと、絶対に、してはいけません。


絶対に、だめです。


一人ひとりと、向き合って、津和野高校について語り合い、その中から、本当に取るべき方向性を見出し、取り組んでいかなければならないのではないでしょうか?

消化試合のようなアンケートを行ったり、形だけの住民参加は、逆効果です。
やるなら、徹底的に、足で稼がないと、いけないのではないのでしょうか。



長々と、書き連ねました。
みなさま、ヒアリングの際は、ご協力お願いします。

なぜ、つわの夢ゼミ、か。

今回の取り組みは『津和野高校自体の魅力づくり』のために行った取り組みです。


『津和野高校自体の魅力づくり』というのは、『津和野高校だけ!』という強みを見出し、伸ばしていかないといけません。

例えば、津和野高校は、普通科のみの高校ですが、大学進学(文系・理系共に)と就職、幅広い進路に対応しています
しかし、全国から生徒を募集しようと考えたときに、この『幅広い進路に対応している』というのはそれほど強みにはならない、というのが私の考えです。(全国募集しないなら、話は別ですが、それでは生徒がいなくなりますね。)

なぜなら、東京や大阪を始めとする都市部では、文系の大学進学に強い高校、理系の大学進学に強い高校、就職に強い高校など、それぞれの分野で『強み』を持っている高校がたくさんあるのでわざわざ一校が全部担う必要がなく、選ぶ受験生は自分の進路に見合った高校を選べばいいだけなのです。

確かに、石見地方で見れば津和野高校の『幅広い進路に対応している』というのは、独自の魅力かもしれませんが、 全国規模で見ると、独自の魅力とまでは言い切れないことがわかります。

益田・鹿足と東京との比較



全国規模で勝負するなら、『津和野ならでは』もしくは、『他にはない』ものをどんどん津和野高校が取り入れていき、『津和野高校でしかできないこと』を打ち出していくべきです。


では、今回の『つわの夢ゼミ』がどのようにその魅力化に繋がっているかを考えてみましょう。
つわの夢ゼミで講師として来町してくださった人は日本全国いろんな大学に在学している学生でした。

国際基督教大学、東京工業大学、関西学院大学、京都造形芸術大学、名古屋大学、慶応義塾大学、東洋大学、明治学院大学、十文字学園女子大学、島根大学、山口大学 など。

それに、出身地もばらばらでした。

大阪、東京、埼玉、広島、愛知、静岡、高知、山口、兵庫 など

これだけ多様な学生が集まり、講座を開くことは、全国津々浦々探しても非常に珍しいことです。
この取り組みが毎年続けば、
『津和野高校に行けば、全国のいろんな大学生と会ってじっくり語り合うことができる』
という津和野高校の魅力のひとつをつくることになり、東京の魅力的な高校にも太刀打ちできる魅力になる。 そう考えて、『つわの夢ゼミ』を行いました。



起案から実行まで、急ピッチだったということに加えて、役場・教育委員会・高校・後援会など、あらゆる立場がうまく連携をとらないと進まない教育行政の一貫であったことも作用して、 なかなか、大満足!という結果にはいたらなかったのですが、小さな小さな一歩は踏み出せたんじゃないか、と感じています。


自分の力不足を認め、なかなか簡単にはいかないしがらみや、縦割り行政の弊害、各関係機関の体質などを全て受け止めて、その中で、知恵を振り絞って、今後も活動していきたいと考えています。



今回来町してくださった大学生のみんな。
お手伝いいただいた役場の方々。
協力していただいた高校の教職員のみなさま。
いろいろご迷惑をかけた町のみなさま。
それに、参加してくれた高校生のみんな!

 ありがとうございました。
 次なる一歩を踏み出しています。

津和野高校をみんなで盛り上げていきましょう!

津和野高校について
公式ホームページ
FBページ

明日・明後日は津和野高校の文化祭、体育祭です。
町内のみなさま、ぜひ!(私は出張で行けません。泣)

それから、10月20日には、オープンキャンパスがあります。
少しでも津和野高校に興味を持った方がいらっしゃれば、津和野高校のありのままを体験できる機会です!
ぜひ参加してください!
遠方から参加なさる方には助成がありますので、ご連絡ください。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

ふくい

8月10/16/21/26日 つわの夢ゼミ


さて、やっと、今回の取り組みについてです。



つわの夢ゼミ。
日本全国から様々な経験をしてきた大学生が津和野に来て、高校生と膝を交えて、将来のこと・夢・高校時代の生活・大学生活などあらゆることを話しながら、
高校生に自分の夢と、『夢を叶えるために明日から何ができるか』を考えてもらうきっかけとなる取り組みでした。
真剣に聞き入る、高校生


つわの夢ゼミの流れは



①ワークシートに従い、『自分のこと』(長所、短所、特技など)を振り返ったり、『他人から見た自分』を知ったり、『自分が頑張ってきたこと』を掘り下げたりします。中々、高校生一人でこのワークシートを使って振り返りを行うことは難しいので、大学生がファシリテーターとなって、高校生が考える手伝いをします。






普段中々振り返ることのない、自分自身や、自分が行ってきたこと、頑張ったことを改めて見直すきっかけをつくり、自分の持つ『社会で活かせそうな力』を知ってもらいました。






②ワークシートの内容を踏まえる形で、大学生が『体験談』を語ります。留学、大学生活、旅、研究、インターンシップ、受験などあらゆる体験を高校生にシェアします。
高校生は自分が聞きたい話をしてくれそうな大学生のところへ行き、質問などをしながら話を聞きます。



大学生は、写真や図、データなどを使いながら、できるだけリアルに高校生に伝わるように体験をシェアしました。








③ワークシートに書いたこと、先輩の話を踏まえて、未来設計図を作ります。小さな目標から、段々大きな夢へ。大きな夢がぼんやりとでも定まれば、『では、そのために、明日から何ができるか』という問いに対する答えを考える。




この答えこそが、『公約』です。『わたしは、明日から、夢を叶えるために、これをします!』という強い決意。その決意をして、つわの夢ゼミは終了です。

今回『つわの夢ゼミ』に参加してくれた高校生は全員で19名。講師として参加した大学生は20名。このうち、15名が町外からの参加でした。




参加した高校生からは、
『学校では考えないようなことを考えられた』
公約:素振り毎日100本以上(時間があれば)



『久しぶりに、まじめに、考えるきっかけだった』
公約:すべてのことに意味を持つ

『将来の夢って、言うのは簡単だけど、実際それに向けて何かしようと思うと、難しいって気付いた』
公約:その日に習ったことはその日のうちに!!少しでもノートを見直す

『大学生っていろんな大学生がいて、話すだけでためになった』
公約:スキマの時間を苦手な英語のために活用する

など、ありがたい言葉がたくさん聞けました!


参加した大学生からは、
『観光だけでは来ない町だけど、自分の存在を活かせる場があるなら、何度でも来たい!』
真剣に語る大学生


『ないものはない!あるものしかない!それでええやん。だって、ここには、ぜったいなくしちゃいけないもんがあるし、それは、大阪にはないもんやから!』
津和野の魅力:人のつながり、町なみ

『津和野で大学生がサミットするっていうの、すんげーおもしろい。こんな田舎だからこそ、大学生ができることってあると思うし、何より、「津和野?どこそれ?なんでそこに大学生があつまってるの?」っていう感じがいいじゃん!』
津和野の魅力:小京都と緑の行き来

『リアルな高校生、それも、都会じゃなくて田舎の、その姿を見れてよかった』
津和野の魅力:観光地の先へ

『高校生に学んでもらえてたらそれはそれでよかったと思うんだけど、何より、自分自身が一番勉強になった』

『教育行政って、都会でも問題が根深いけど、田舎はもっとだな。制度を現場が越えていかないといけない状況になってる。そのためにできることがあれば、なんでもやりたい』
など、とても嬉しい言葉が聞けました!


取り組みについて、詳しくは、次の記事へ。 →次の記事へ

津和野高校の魅力化


こんにちは、文章が長いふくいです。今回もボリュームがあるので、三部構成にしました!
(それでも、読みにくさは変わりない!スクロールの限界への挑戦!)
今回は、私が取り組む津和野高校魅力化のための活動についての報告です。

魅力化事業の一つ、『全国募集』

前置きとして、津和野町外の方にも現状を把握してもらうために『津和野高校の魅力化』とはなにか、少し説明します。
昨今、日本のいわゆる中山間・離島地域などの過疎地域にある学校は、どの学校も生徒数の減少に伴う統廃合の危機に立たされています。
津和野町には県立津和野高校がありますが、津和野高校もこの例外では無く、同じような状況に立たされています。津和野高校は現在募集2クラス、80人定員ですが、毎年55人前後の入学にとどまり、このままだとクラス減、統廃合の対象校となってしまいます。
「町から高校がなくなることなんて、珍しくない」と言う方もいるでしょう。「高校がなくなっても、わたしには関係ない」と言う方もいるでしょう。
でも、本当にそうでしょうか。高校がなくなっても、『わたし』には関係ないのでしょうか。

津和野高校の状況について、少し説明します。
上のグラフはそれぞれ、『津和野高校入学者内訳』『入学充足率』『町内中学生入学率』『鹿足郡の中学卒業者数推移(予定)』を表しています。

まず、右下のグラフを見てみましょう。
このグラフは、鹿足郡の中学卒業生の数を表しており、人口減少を受けて生徒数が減少していることが一目瞭然です。郡内の中学生が減るということは、そのまま津和野高校の生徒が減るということになります。

では、次に左下の図を見てみましょう。
この図は、津和野町の中学卒業者のうち津和野高校に入学する生徒の割合を示したものです。吉賀町と津和野町の中学卒業者数は同じ位なので、右下のグラフの数値の半分が津和野町の中学卒業者数の目安となり、その半分(49.3%)が津和野高校に入学しています。数にすると、平成22年度で36人。入学者の57.1%が町内出身です。この値は、決して高いとは言えないことを明記しておきます。

次に左上のグラフを見てみましょう。
このグラフは、津和野高校の入学生の内訳を示したものです。9割が県内出身、2割が益田出身ですが、益田出身者の割合は年々減少しています。また県外生が1割となっていますが、阿東を除いた県外生(全国募集)となると僅か3%にとどまります。

最後に、右上のグラフです。
このグラフは、充足率を示しています。この値が低くなればなるほど、クラス減、統廃合の対象になる可能性が高くなります。

以上が、津和野高校の生徒数に関する現状です。

グラフからわかるように、津和野高校はもう既に、『なくなる』寸前の状態になっており、すぐにでも、具体的な方策を講じないと、間に合わないという切迫した状況に追い込まれています。



廃校になり、がらんとした学校


以前書いた記事で、海士町視察について記載しました。
海士町は「町から高校がなくなること」に非常に大きな危機感を抱いて、全町を上げて、隣接2町村と協力しながら県立隠岐島前高校の魅力化に取り組んでいます。
「町から高校がなくなる」ということは、中学卒業と同時に町から若い世代が全員流出することになり、また、町に移住したいと考える人も「高校がないのなら」といって移住しなくなります。
「町から高校がなくなる」こと、すなわち、「町の人口減少に拍車がかかること」と同じ意味なのです。





私は、この課題を認識し、危機感を抱き、『何か、自分にできることはないか』という想いをもって、現在津和野高校魅力化のための取り組みを行っています。

私が行っている津和野高校魅力化のための取り組みは大きく二本立てです。
一つが『津和野高校自体の魅力づくり』、もう一つが『その魅力の対外的な発信』です。
いくら、素敵な高校になったとしても、それを発信しなければ意味がない。
いくら、メディアに露出して対外的に発信したとしても、中身がなければ意味がない。
この二つの柱はどちらか一つだけ達成されても、意味がないのです。同時に並行して行っていくことが大切です。

では、今回の取り組みについては、次の記事で。    →次の記事へ。

6月18日~20日 海士町視察


まいど。福井です。 
今回はいつものブロガー石川に代わり、6月18日〜20日に行った海士町視察について 福井が書いていきます。がんばって読んでください!
(!)注意、文字多め。 

【どうして、いま、海士町なのか】
今回、海士町へ視察に行きたいと考えた一番大きな理由は、海士町の役場の体制・姿勢人々の目の色・気持ちそして町の一体感というものを肌で感じたいというものでした。
IFJの主な取り組みとして、フットパス計画に取り組んでいることはこれまでも伝えてきましたが、IFJではフットパス計画以外にも、4人の町長付が一人ひとりの興味関心・問題意識に沿った活性事業として自由活性課題を行っています。

4人がフットパス計画・自由活性課題に取り組んできた3ヶ月弱の中で、これまで4人が捉えていた津和野町の課題というのは表面的なもので、てこ入れすべきはもっと本質的な問題ではないか、と感じたため地域でイノベーションが起こるまちである海士町への視察を決定しました。

【海士町ってどんなことしてるの】
今回の視察で対象となる取り組みは大きく3つ。
①CAS(最新凍結技術)の利用を軸とする産業創出事業
(CASについてはこちらCAS技術について/海士町のページ)
②島ガール・ロマンティックアイランドを中心とする観光への取り組み
(島ガールについてはこちら島ガールのブログ)
 ③隠岐島前高校魅力化プロジェクトと公設塾「隠岐國学習センター」について
(両取り組みについてはこちら隠岐島前高校ホームページ

海士町では、他にも多くの画期的な取り組みが行われていますが、今回はこの3つについて主に視察に行きました。




【6月18日】
津和野の特産であるわさびを持参し、津和野を出発して自動車で5時間余り、隠岐諸島への玄関口である、七類港を経由して、高速船に乗り込み約2時間。ほぼ半日かけて海士町に到着しました。(島根はやっぱり、東西に長い)今回の研修には地域振興課の課長とIFJから福井と坂和の二人が参加しました。

初日は午後7時頃に海士町に到着したので、研修は行わず、海士町長の自宅兼民宿であるあざ美荘に宿泊しました。「せっかくの一夜を無駄にしてはいけない。ちょっとの時間ももったいない」と感じた福井は寝静まる二人を部屋に残し、夜の海士町に繰り出しました。

海士町の掲げるモットーである「ないものはない」に象徴されるように、夜の海士町には都会にあるようなネオンや繁華街はありませんでした。しかし、「ないものはない」つまり「あるべきものはある」の言葉通り、穫れたての美味しい魚や、居心地の良い民宿がありました。

ふと、立ち寄った居酒屋は、海士町で伝統舞踊を踊り継ぐお母さんがママを務めるお店で、地元の方々が多く集まるお店でした。
「海士町にはね」「海士の人はね」と、町の事業・人・文化・歴史を次から次へと教えてくださるママさんを見ていると、まるで海士町の観光大使なんじゃないか?と疑えてしまう程でした。ごくごく「普通の」一人の町民が、ここまでまちのことについて胸を張って語れることが、果たして津和野でできるのかな?と少し考え込んでしまった夜でした。

ママさんと話し込んでいると、翌日お話を聞く予定だった公設塾のセンター長である豊田さんと偶然出会い、そのままそこでざっくばらんな意見交換を行いました。
海士町では、居酒屋もすぐに議論の場に早変わり。このあたり、津和野町にも似通った地盤がありますね。



【6月19日】
二日目はまず、海士町役場の職員の方(田中さん)から海士町の事業と全体像についてのプレゼンを聞いた後、昼食をとり、現地視察に出かけました。


田中さんの話を聞いて、改めて海士町がすごいと感じた点、同時に、津和野町が見習わなければいけないと感じた点は2つあります。

①職員が縦割りの課を超えて仕事を行い、それぞれの職員が「主体性=オーナーシップ」を持って仕事に取り組んでいる点。

②町民と職員の信頼関係ができており、それぞれの領分で全力投球し、「恊働」していること。

海士町の取り組み一つ一つを真似していても仕方がないです。そうではなく、それらの取り組みをうんだ地盤・雰囲気・気運はどのようなものであるかをしっかり見極め、津和野のまちづくりに活かしていきたいと感じた意見交換会でした。



昼食で隠岐牛の焼き肉を頂いた後に、現地視察に出かけましたが、海士の雄大な大地で育まれる隠岐牛を目の当たりにしてしまったので、なんだか申し訳ない気持ちにもなりました。

現地視察では主にCAS関連施設を見て回り、実際の活用方法などをビデオで記録し、津和野でのCAS利用の可能性について考察しました。



現地視察の途中、議会中ということもありお忙しいにも関わらず、海士町長が直々にお会いしてくださいました。年齢を感じさせないバイタリティを持つ方で、歯切れがよく、決断力に富み、また部下からの信頼もあついように感じました。
中でも印象的であったのが「優秀な人間なら、町内出身であろうが、町外出身であろうが、採用する。そして、年功序列もなしだ」という言葉でした。町長が自信を持ってこのような発言を行い、実際に事業を執り行うので、まちの人々の頭の中にも自然と「どんどん人を受け入れよう」という考えが広まってきたのではないでしょうか。



町長との会談後、体験施設に戻り島の女性有志からなるロマンティック愛ランド実行委員会の方々二人とお話をしました。現在IFJが取り組むフットパスについてと、個人的に夏に企画している「つわたび」について意見をいただきました。若手の住民が主体的に取り組んでいるということもあり、メディアに取り上げられることもあるそうです。あらゆる媒体を用いて打ち出していく姿勢は見習わなければならないことが多かったです。

その後、隠岐島前高校魅力化プロジェクトに携わる岩本悠さんのお話を伺いました。IFJの取り組みの一つとして教育に関する取り組み、その中で同じく高校魅力化プロジェクトに携わり始めていることもあり勉強になることが多かったです。
職員と、高校と、県の教育委員会と、まちの人々と、高校生と、様々な立場の人が同じ方向を向いてそれぞれにできることを一所懸命行うことで初めて、魅力化プロジェクトがスタートし、少しずつ成果が出ているとおっしゃってました。津和野高校も魅力化プロジェクトがスタートしていますが、単なる行政主導の机上の空論に終わらず、「本気で変えようとする姿勢」で一人ひとりが取り組むことが何よりも大切ではないでしょうか。分厚い計画やビジョンよりも、人の中にある熱い想いが大切なんだ、と改めて気付かされた意見交換会でした。


夕食後、隠岐國学習センターを見学しました。豊田さんとは前日にも話していたこともあり、かなり深い内容の話まですることができ満足でした。また、センターで学ぶ高校生一人ひとりと話してみると、「目の色」がまず違うことに気がつきました。
先生にやらされて、親が言うから、まわりがやるから、ではなく、「自分のやりたいことに繋がるから」という自発的な理由で学びに本気で取り組んでいることが伝わってきました。「自分のやりたいことに繋がる」という点は、岩本さんも豊田さんも大事になさっていたことでした。
お二方とも「人口減少」→「雇用がない」→「人口流出と若者の減少」という人口減少の悪循環を、隠岐島前高校を「海士町の現実を直視しながら学んだ若者が、海士町で起業し、雇用をうむ」ための準備の場所として捉えることで、「若者(高校生)の増加(島外から)」→「彼らによる雇用の創出」→「人口増加」につなげるという、悪循環の逆流を起こしたいとおっしゃっていました。
「教育」というテーマは一見とっつきにくく、また、まちづくりには関係の薄いトピックに感じられがちですが、こうして考えると重要なテーマであることが認識できます。


【6月20日】
海士町最終日。この日は朝から交流促進課の課長と意見交換を行いました。定住施策や、観光対策を主に行う彼からは鋭い意見がいくつもでてきました。「観光に来てくれる人は定住に最も近い人だ」と考える彼は、観光と定住施策とを連結して捉え、今まで取り組みを行ってきたそうです。観光×定住の取り組みは津和野町としても見据えるべき取り組みであると改めて認識し、フットパスにもこの観点を活かしていきたいと感じました。



最終日のお昼は、CASによって冷凍された牡蠣を解凍したものを頂きました。「冷凍だよ」と言われないと全くわからない程のぷりぷり感と美味しさでした。例えば、津和野の鮎がCASによって全国に届けられるようになれば、津和野の魅力発信にもつながるのでは?とも感じました。


最終日の出航間近になって、やっと晴れてくれた隠岐の空。3日間、休憩無しで多くの人の話を聞き、深く考えさせられました。

【視察を終えて】
今回の視察では、今まで見えていなかった津和野町の課題や改善すべき点を再認識することができました。この3日間で得たものを如何にまちに還元していくか、ここに、視察の有用性がかかっていると考えています。すこしずつではありますが、ひとつひとつ、こつこつと取り組みをすすめたいと考えています。

P.S. 想いがあふれ過ぎて、とても長くなってしまいました。