7月20日・27日 鷺舞・小鷺②

こんにちは、さかわです。
今回のblogはいつもの石川に代って報告します。

IFJメンバーの男性陣3人が毎年7月の20日・27日に行なわれる鷺舞神事に参加させていただきました。

鷺舞神事は古く江戸時代より400年もの歳月に亘り継承されてきた伝統行事で、時代によって作法の簡略化などが起こりましたが、今も鷺舞保存会の方が中心となって、鷺舞を継承し続けています。今では鷺舞といえば京都ではなく津和野と言われるほどになり、1994年には国の無形文化財にも登録されました。



鷺舞の練習は夜それぞれの仕事が終わった後に行なわれます。
練習とはいえ静寂の中に謡手の声、鳴りものの音が響き渡り、緊張感が伝わってきます。
練習を見れただけでも、参加させてもらえてよかったと思えます。

当日20日は雨が心配されたのですが、お昼から降り始めた雨は鷺舞が始まる前になると自然と降り止みました。まさに鷺舞の謡のよう、時雨の雨でした。


鷺舞が始まると周りを囲むように何人ものお客さんが来られました。
僕らは裃を着て警護という舞い手が踊りやすいようにお客さんと舞方との距離を調整する役につきました。



鷺舞は鷺舞役者のほか、悪魔祓いをする赤毛の棒振り、腰に小太鼓をつけ、バチを持って舞う道化師役、またその後方には囃子方が控えています。
中心で踊る鷺の衣装は13キロにもなり、それに夏の暑さが加わり踊り手は大変な体力を必要とします。役場の前から始まり、およそ10ヶ所で披露するのですが、体から水分が絞り出されるように汗が出てきます。


鷺舞というひとつの行事を絶えさせることなく連綿と受け継いできた津和野の人々。それは神事としての側面ももちろんありますが、またそれ以上に津和野にとって、昔の人の想いを後世に伝え、文化を継承していく大事な意味があるのだと感じました。
限られた人しか出られない鷺舞に、僕らを参加させていただけるという津和野の鷺舞の方々の心意気に大変嬉しく思い、そして神事を一番間近で見られ、またその中にいるという感動がありました。
継続していくことは簡単ではありませんが、これからも残っていってほしい行事のひとつです。





7月20日・27日 鷺舞・小鷺①

こんにちはこんにちは石川です!
さて、7月20日・27日には、
石川は小鷺踊り、福井・畔柳・坂和は鷺舞神事に参加させていただきました。
鷺舞に関しては次回に譲り、今回は小鷺についてお伝えします。

<小鷺踊りとはなんぞや?>
毎年鷺舞神事の前に行われ、
赤い袴に小鷺の頭をつけた津和野小学校の3年生から6年生の女の子が
本町通りや高岡通り、駅の前など、9カ所で小鷺踊りを披露します。
はじまりは1958年。当時の観光協会会長 故田中良さんの発案で始まりました。
鷺舞に花を添えるということと、
津和野にはいろいろな郷土芸能があるけれど、子供の芸能がないということで、
小鷺踊りを考えついたそう。
当時は小学生の人数も多く、踊る人が選抜されるほど。
津和野町の大人の女性に聞くと、「いまでも覚えてる」という人が多いです。
殿町通りにて。
後ろ姿もかわいいです。

<当日>
今回は20人の小学生が参加。
小鷺保存会が中心となって、
事前に小学生への指導や当日の子供たちのサポートを行います。
石川は20日はお手伝い、27日は踊り手として参加させてもらいました。
保存会の先生たちが衣装をつけてくれます
プロアマ問わず多くのカメラマンが。
写真を撮る石川
お旅所にて。

スタッフ・踊り手の両方を経験させていただき、
見る側・行う側両方の立場に立つことができました。

とにかく暑いので、スタッフも子供も大変です…。
学校を出発するときは笑顔の子供も、歩くたびに表情が疲れていって。
子供がすこしでも不調を訴えたらスタッフの方々が不調の原因を探し、取り除く。
保護者の方もたくさん見に来ているのですが、
休憩時に飲み物を差し入れたり、うちわで扇いだりと、
みんなで子供たちをサポートしてました。

なんとか暑い中を乗り切って学校に帰ってきた子供たちは、
疲れた顔をしていましたが満足そうな顔。
とある2年生の子は二日間小鷺についてきて、
「来年は自分もやりたい!」と言っていました。
歩くと鈴がしゃらしゃらと鳴ります
途中でお茶をもらいます。貴重な水分。
<余談>
いまは少子化ということもあり参加者が減っていますが、
「小鷺踊りを行うことの意義」や「達成感」を、子供なりに実感できないと、
ただ辛い思い出として残ってしまい、ますます小鷺踊りから遠ざかってしまいます。
(終わった後に「もうやりたくない」とぽつりとつぶやいていた子もいたので…)

第一期の踊り子さんたちが、いまは50代。
(親子3代で小鷺踊りを行っている子もいるのでしょうか?)
お母さんやおばあちゃんが踊った踊りを、子供も踊れるというのは、
親にとっても嬉しいし、子供にとっても嬉しいもの。
「伝統」や「歴史」というのはただ続けばいいものではなくて、
自分のルーツを感じられるきっかけになることが、大事なことだと思います。
もしできるのならば、小鷺同窓会として、(同じ衣装でなくても!)
OGが小鷺踊りを踊る機会があってもいいのかな、と思いました。

7月18日 津和野燈火会まちあるき

こんにちはこんにちは石川です!
蒸し暑い日々が続く津和野です。
朝晩は涼しいのですが…昼は肌がじりじりと焼けます。

さて、7月18日には津和野燈火会で集まり、
私たちが作成したマップを用いてまちあるきを行いました。

津和野燈火会では、観光客に「歩いて津和野を楽しんでもらう」ためのマップを
一緒に作っています。マップ実物はまだ出せないのですが…お披露目までお楽しみに。

マップはこれから複数枚作っていく予定ですが(現在4テーマ分ができています)、
一作目のマップは私たちIFJが作成したもの。
私たちがガイドをしながら、
まずは燈火会メンバーと観光協会の局長に歩いていただきました。
ある場所がスタート地点です。
トンボがいっぱい飛んでいます
ねこのふうりん。
細い路地を通って…どこに行くのでしょうか?
とあるお店の中を通って。
酒屋さんのご主人からお話を聞きます。
掘割と鯉だけを見て終わるような観光とは、
違う視点で普段は歩かないような場所を通った今回のまち歩き。
「なかなか来ることがない」と、燈火会メンバーも新鮮だったようです。

ただ今回のまちあるきの方法に反省点はいくつかありました。
1、歩くときにばらけてしまい、なかなかガイドができなかったこと
2、暑い日差しの中歩くと、話に集中できないこと。適度な休憩ポイントが必須。
など。

IFJメンバーの頭の中にあるのは、やっぱり「長崎さるく」です。
もちろん長崎と全く同じことをやる必要はないし、(ガイドが全てではないし)
津和野には津和野のやり方があるのですが、
長崎さるくで体験した「おもてなし」の感覚・町の人が町を楽しんでいる感覚を、
町の人に伝えたい。

これからは燈火会のメンバーが作ったマップをもとに
まちあるきをするのですが、反省を生かしてよりよいものにしていきたいと思います。

7月9日〜12日 通学合宿

こんにちはこんにちは、石川です。

さて、7月9日〜12日は通学合宿のお手伝いをしました。

通学合宿とは、小学校の4年生〜6年生の希望者を対象とし、
毎年一回行われる3泊4日の合宿です。

家から離れたところに泊まり、一日を宿泊地で過ごす、
いわゆる普通の「合宿」とは違います。

小学校で授業を受けた後に、家ではなく公民館へ帰ります。
公民館でみんなで晩ご飯を食べ、宿題をし、お風呂に入り、就寝…。
起床後朝ご飯を食べてから登校。

地域のおじちゃんやおばちゃんに協力してもらいながら、
自分のことは自分でする、みんなで生活することの楽しさや厳しさを満喫する、
みんなで協力することの大切さを学ぶ、家族や地域の大人への感謝の気持ちを持つ、
ということを目標に、津和野では今年で10回目を迎えたそうです。


(通学合宿そのものは、平成 12 年度の国庫補助事業「余裕教室を活用した地域ふれあい交流事業」の活動メニューとなったことから、各自治体で全国的に展開しているそう。)
(国立教育政策研究所社会教育実践研究センター資料より引用。
http://www.nier.go.jp/jissen/chosa/Tsugaku.pdf)


私たちは、宿題の手助けや調理の補助など、お手伝いとして参加しました。

入所式。いよいよはじまります。
しおり。なくしちゃだめよー
ご飯の準備。こぼさないように慎重に。
包丁も使います。上手!
終わってみての感想ですが、
小学生たちが自分の役割をきちんと把握し、実行できているな、と思いました。
配膳係が配膳をするのはもちろんのこと、
人手が足りなければ、「洗濯係だけど配膳もやる!」と周りを見て行動できていました。
「自分のことは自分でする」だけでなく、「まわりのことも自分ですすんでする」
というのがごく自然にできていました。
通学合宿だけでなく、道で普段すれ違っても挨拶をしてくれたりと、
津和野のこどもたちは礼儀正しいし、しっかりしている子が多いです。
津和野の保護者の方や先生、地域の方々の指導の賜物でしょうか。


また、上級生・下級生が近い距離感で話しているのが、私にとっては印象的でした。
私は横浜の全校生徒500人弱の小学校に通っていましたが、
学校のほとんどの生徒が、他学年とはなかなか顔を合わせることもなく、名前も知らないまま卒業していました。
津和野小学校の子たちは、同級生と仲がよいのはもちろんですが、
学年が異なっても名前を知っていて、自然に話しかけていました。
また、上級生が「下級生が困っているときには助けてあげたい」と目標を話しており、
全校生徒が120人と少ない人数の学校だからということもありますが、
通学合宿も一つのきっかけなのかな、と思いました。

夕食は地域の大人と一緒に。
夜の自由時間。
また、通学合宿を支えているスタッフの方や地域の方の大変さも感じた数日間でした。
子供たち30人を3泊4日で合宿をさせること自体に、
夕食はどの程度用意するのかや、どこでお風呂を借りさせるのか、誰が面倒を見るのか…念入りな準備と打ち合わせ、地域の人の参加が必要です。
子供たちの体調のチェックなど、細やかなところまで気を配らないといけません。
「地域で子供を育てる」という機運がなければなかなかできないことですね。
(ただ、お手伝いにくる地域ボランティアの方が少なかった日もあり、これからもどうやって人材を確保するかは、なかなか大変そう…)

今回通学合宿を経験した小学生が、中学生や高校生になったとき、
私たちの代わりに小学生に宿題を教えてあげたりと、何らかの形で参加できたらいいな、と思います。



7月1日・7日 あじさいウォーク・キャンドルナイト

こんにちはこんにちは石川です!

ついに7月になりました。夏!

津和野は日が長く、19時ごろでも明るいのですが、
先日は日が暮れても月が明るく、周りの星がかすむくらいでした。
駅から家までの約1km、街灯はほとんどないのですが、
夜空を見上げると星が綺麗だったり、月が綺麗だったり。
日中は暑い津和野ですが、夜は涼しく心躍る帰り道となります。
山と月と田んぼ。静かな夜。
さて、7月1日の日曜日は、各自別の場所に行きました。
福井は小川地区の運動会、畔柳は町政座談会に、
坂和は日原の野球クラブの試合に、石川は畑迫のあじさいウォークに出席しました。

畑迫では数年前からあじさいの栽培を始め、
今では町外から人が訪れるくらい、とても綺麗に咲いています。
そんなあじさいを町内外の人で楽しもうと、8kmコースと4kmのコースが用意され、
スタッフと参加者合わせて60人近くが参加しました。

石川は8kmのコースに参加。約2時間、あじさいを楽しみながら歩きました。
基本的に下り坂と平坦な道だったので、ほどよいボリュームでした。

最近石川は畑迫によく出かけます。
公民館でお話ししたり、イベントに参加したり、会議を見学させてもらったり。
津和野地区とはまた違った雰囲気をもっている畑迫が好き、というのもありますが、
いま津和野地区で町のかたと取り組んでいるプロジェクトを、
畑迫地区でもやりたいな、という思いがあります。
そのために、まずは地区のことを知ろうと、あちこち回っています。
小さいこどもから年配の方まで。
あじさいがこんなに咲いているの、見たことある?
早朝に降った雨もやみ、いい雰囲気に。
あじさいの中で記念撮影!

7月7日は日原の天文台でキャンドルナイトがあり、事前準備のお手伝いをしました。

せっかくなので、
津和野の本町通りにある呉服屋「ささや」さんで4人とも浴衣を着つけてもらいました。
畔柳と坂和ははじめて浴衣を着たとのこと。
都会では浴衣を着る機会はなかなかないですが、
津和野は普段浴衣を着ていても、しっくりくる町並。
これからも着る機会はあるとおもうので、たくさん着れるといいですね。
くろちゃん着つけ中。
三人の個性と柄もぴったり。
明るい内に日原の天文台に到着。
ろうそくが入っている穴があいた空き缶を、天文台の敷地に並べていきます。
今年のテーマは天の川。
あいにくの雨模様だったため、夜空は曇っていても、
地上に天の川が見られるようにしようとのこと。
デザインセンスが問われます。
天の川に見えるでしょうか?
全部並べたら、着火開始。早く来ていたお客さんたちも手伝って、一個ずつ火をつけていきます。
一人でやると大変な作業。
火を入れるとこんな感じ。
最近は日が長くなった津和野。
19時を過ぎたころから徐々に暗くなってきます。
ぼんやりとした暖かい明かりが、薄暗闇に染みてきました。

最初空き缶を見た時は、いかにも空き缶で拍子抜けしたのですが、
暗くなると空き缶だとわからなくなります。すごい綺麗。
空き缶に画びょうで穴をあければできるので、家でも簡単にできますね。
町中でも個人が持ち寄ってできそうです。


天文台の空き缶は、もはや芸術の域にまで達した細かさとデザインセンスになっています。
天文台の職員の方が一個一個作っているそうです。超力作。
グラスに入っているのも綺麗です。
夜は空き缶だとわからなくなります
宇宙人もいます
暗い中に光るキャンドル。素敵。

明るい都会ではキャンドルの光は映えないけれど、

明かりの少ない津和野だからこそできる、夜の楽しみ方。
「田舎はなにもない」っていうけれど、
都会には都会の、田舎には田舎の楽しみ方がある。
そんなことを改めて思った七夕でした。