【津和野高校】津和野ー東京の研究

こんにちは、ふくいです。
今日は、いま津和野高校の生徒と一緒に取り組んでいる、研究授業についての記事です。
去る10月1日、津和野町は東京の文京区と、「『森鴎外ゆかりの地』相互協力および防災に関する協定」という協定を結びました。
この協定は、
常日頃から住民レベルの交流や観光・広報活動などで関係を深めておき、災害時などにお互いにスムーズな支援ができるよう備えるための協定です。

その交流活動の一つに、来る10月20・21日に行われる、根津・千駄木下町まつりがあります。
根津・千駄木下町まつりのパンフレット
この、下町まつりに、津和野高校生も参加します。
が!参加するに至った経緯や、事前学習などに、『せっかく東京に行くのにもったいない!』と思うところがあったので、ある提案をしました。

提案1)根津・千駄木下町まつりで、ブースのお手伝いをするだけではなく、津和野の魅力、津和野高校のことなどを発信してはどうか。

提案2)せっかく東京に行くのだから、事前にテーマを決めて、東京で研究のための調査をしてはどうか。

提案3)同日程で津和野高校東京支部総会が開かれるので、先輩方の前で、津和野高校の現状についてスピーチをしてみてはどうか。

役場内で調整し、校長先生と相談した後に、担当教員である稲田先生と打ち合わせをして、提案を実行してみることになりました。


まず、提案1については、津和野高校で総合学習の時間を使って行われている『本をつくる』授業で調べている内容を活かして行ってはどうか、ということになりました。
この『本をつくる』という授業は、町の人にもっと高校に関わってもらおうという意図で行われている授業であり、教育委員会職員の中井さんが講師を務めて、ビジネスコースの生徒を対象に、『津和野にまつわること』をテーマに、生徒がそれぞれ 本(冊子)を作るというものです。

ちょうど、この授業で津和野について調べているので、その内容を踏まえて、現地で魅力発信をしてみよう!ということになりました。

加えて、僕のアイディアで、これまで培ってきた人脈を活かして、東京で津和野高校の全国募集に関して協力的に動いてくださっている遣島使(島根県が認めている島根の魅力発信請負人)の三島さんや、島根に特化した旅行商品を企画しているNDRトラベるの秋本部長さんにも協力していただけることになりました!

津和野高校生×遣島使の図式です。
『わかもの』である、津和野高校生が、津和野の魅力発信のために、『よそもの』である僕がすこし助力する形で、『外部の人財』である遣島使の方や、企業の方と協力して取り組みを行う。

まず、第一歩が踏み出せた気がします。

提案2については、森鴎外のみならず、津和野と東京との関わりについて、現地で調査して、事前学習と併せて、後日全校生徒の前で発表しよう、ということになりました。

上京する2人の男子高校生は、それぞれにテーマを決めて研究活動をしています。
ただ、高校生に、いきなり『研究しろ!」と言っても、ノウハウも、時間もなく、難しいのが事実です。
そこで、僕と稲田先生がアドバイザーのような形で携わり、彼らの研究を手伝っています。

派遣生徒の1人、津和野出身の大羽くんは、『本をつくる』授業で桑原史成さんについて調べていたので、桑原史成さんを核にテーマを展開しようと考えていましたが、僕とディスカッションをしたり、ブレインストーミングをしている間に、せっかく東京に行くのだから、もっと東京との繋がりがあり、東京で津和野人の生き様を魅せた人にしよう、とテーマを『西周』に変更しました。

まがいなりにも、僕は哲学専攻なので、彼が『西周』について研究するとなると、きちっと指導したいと考えています。高校生ならではの、斬新な発想がでるかな、とわくわくしながら事前学習をしています。


もう一人の派遣生である、高瀬くんは、全国募集で横浜から入学した生徒です。なので、津和野のことを知っているという意味では僕と良い勝負。二人でたくさん考えた末、『近代文学黎明期における津和野人の活躍〜天野雉彦にみる、津和野の人財〜』というとってもかっこいいテーマで研究してみることにしました。

高瀬くんは、伊沢蘭奢について調べていたのですが、調べているうちに、松井須磨子に辿り着き、松井須磨子から島村抱月、そこから中村吉蔵に辿り着きました。
島村抱月は浜田出身、中村吉蔵は津和野出身です。新劇が興った際の重要人物の中に、これだけ島根出身者がいたことに感銘を受けたようで、そこからより深く調べて行くと、天野雉彦という人に辿り着きました。

森鴎外を筆頭に、中村吉蔵、そして天野雉彦。後に、徳川夢声。激動の時代の文化にこれだけ多くの人財を輩出し、文化振興に寄与した地域だというのは、津和野の魅力の一つではないでしょうか。


この研究のための事前学習として、先週から毎日16時に津和野高校で勉強会を開いています。研究の進め方、事前調査、スケジュールの組み方、ノートの取り方、文献の集め方。たくさん学んで欲しいことがあり、とても充実した時間になっています。
また、座学だけでは良い研究ができないので、津和野におけるフィールドワークも行います。

*ちなみに、僕も一緒に研究したいなあ、と想い。二人が取り上げてくれなかった森鴎外について調べることにしました。

提案3については、同窓会東京支部会長の青木さんと協力して、津和野高校生にいろんな経験をしてほしい、ということで、同窓会東京支部総会の冒頭でスピーチをすることになりました。生徒2人とっては、大人の前で一人で話す、ということはこれまでに経験していないことであり、とても緊張しているようですが、これも良い機会だと思います。
こういった場を何度も踏んでいくことで、人間として一回りも、二回りも大きく成長するんじゃないかなぁ、と自分の学生時代が懐かしくなりました。


と、いうわけで、明日から高校生2人と、稲田先生と東京へ行ってきます。
実り多き学習となるように、がんばってきます!

帰ってきてからの報告をお待ちください!


雑記)*独り言で申し訳ありません
『東京へ行く』ということ自体は僕が提案したことではありません。役場のある方からは『それは、先生にうまくコマとして使われているだけじゃないのか?』と言われました。でも、僕はそうは思いません。いくら提案をしても、通らない現状がある一方、場当たり的にいろんな場面で使われることもありますが、大切なのは『そこで、なにを伝えるか、なにをなすか』だと感じています。
たまに、『なんで、自分の言ったことはやってくれへんのに、向こうはなんでかんでもこっちに提案してくるねん』とこどもみたいに感じることもありますが、これも大事なことなんだと、思っています。
いきなり、大きく、がらり!と、変えることは難しい。
ならば、今ある取り組みに入り込んでいって、それをより実り多きものにすべくディレクションする。
そうやって、ある意味自分を押し殺して、英語の通訳でも、見守りでも喜んで受けるべきなんだろうなぁ、と感じます。

このブログを読んでいると、現状認識ばかりで、提言や取り組みを行っていないように見えるかもしれませんが、IFJの4人は毎日、まいにち、偉い人や、力のある人、凝り固まっている組織に対して、提言をして、つぶされて、それでもめげずに、細々した取り組みを一つ一つ丁寧に行なっています。

なかなか、芽が出ていないように感じるかもしれません。
でも、それぞれが、地中でむくむく養分を蓄え、根を大きく張っています。
すぐに、『観光客◎○人増加!』などという成果が欲しいのであれば、イベント企業に頼んでイベントを打ちましょう。
公な、『津和野町はこういう方向に進むべき』という権威のある意見がほしいなら、大きなコンサル会社を雇いましょう。
それで失敗してきたから、新たなる一手として、僕らが呼ばれたと、僕は感じています。

一過性のイベント
どこに届くかもわからない提言
住んでる人の声を『聞いたふうな』意見
そんな、生温いものを出そうとは思っていません。


生意気言っていますが、目の前にある課題に対して全力で取り組んでいるつもりです。
厳しい意見、応援、いつでもお待ちしています。

もっと、たくさん話をしなければ、と感じる毎日です。



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